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自己愛の欠如

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって

 

久しく書いていなかったな。。。

 

 

 

日々自分の感情をチェックしてるんだけど、

 

卑下とか自己憐憫とか嫉妬とか僻みとか怒りとか淋しさとか悲しみとか、

 

そういうのが全部、自己愛の欠如によるものだって、

 

今は知ってる。

 

 

創造の源が創り出した人間というものは、単体で完結している。

 

今も拡大している宇宙を創造したものが創り出した『人間』。

 

それがそんな中途半端な造りのはずがない。

 

それは精神世界への理解を深めていくにつれ確信に変わっていく。

 

思考では到底及ばない想像もつかない知性により創られた。

 

今の人間の知能では

 

死んだ人間を生き返らせることもできない。

 

命を自らの手で創りだすこともできない。

 

その程度なんだよね。

 

それが思考の限界。

 

人間は、思考を超えた存在。

 

 

で、戻って。

 

問題なのは『自己愛の欠如』、これに尽きるんだよね。

 

これ、自信持って言える。間違いない。

 

自己愛の欠如が起きている分野で問題が起きる。

 

で、自己愛の欠如を起こしているのはどこか、

 

というのは、自分の感情を見てれば分かるという。

 

さっき書いた、

 

卑下とか自己憐憫とか嫉妬とか僻みとか怒りとか淋しさとか悲しみとか。

 

で、これらの感情に気づいたらまず自己受容。

 

とりあえず現状を受け入れないと始まらない。

 

そこ否定したら誰も自分を受け入れることなんてできないから

 

一生自分は自分に否定され続けて生きなきゃいけなくなる。

 

これってめちゃめちゃ辛いよね。

 

逆に言えば、誰に否定されても自分が自分を認めていれば辛くない。

 

 

人間は、一人で完結した存在。

 

だから、本当は、外に何かを求めなくても常に満たされた状態でいられる存在のはずなんだけどね。

 

不足を感じるということは自己愛の欠如なんだよね。

 

 

 

ということを、日々実感している今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| maki | 11:24 | comments(0) | - |
自分の感情を感じられるのは自分だけ

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自分の感情には自分で責任を持つ

 

今日もまた、見知らぬ人の言葉に勝手に傷つく自分を発見した

 

何度でも言う

 

自分の感情の原因は外にはない

 

7年間自分の心の問題に取り組んできて確信を持っている

 

自分が被害者だと感じたとき

 

加害者は自分であること

 

決して第三者の介入はあり得ない

 

現象世界は自分自身の反映だから

 

過去を振り返れば

 

いつだって

 

私の信じたことを反映した現象しか起きていないことが分かる

 

だから

 

さっき

 

見知らぬ人の言葉に勝手に傷ついた自分を省みて

 

「それを信じた自分」

 

をじっくり観察した

 

泣きながら

 

自分の中に「ひっかかるもの」がなければ反応しないんだからね

 

ただね

 

どんなに頭で理解していても

 

感情はすんなりとは納得してくれないことも多い

 

そして、感情は日々新たに発生するしね

 

だからずっと続いてくよ

 

自分のどんな小さな感情も見過ごさないようにしたい

 

感じてあげられるのは自分しかいないから

 

そして

 

どんな自分の感情も自分由来だと分かれば

 

自分を幸せにできるのは自分しかいないということも分かる

 

外側の現象に幸せを感じることができたなら

 

それは

 

自分が自分を幸せにした結果の反映なんだよね

 

信じられない?

 

嘘みたい?

 

これは科学だよ?

 

まだ完全に解明されていないだけ

 

証拠がない、根拠がないと言って否定するのはナンセンスじゃない?

 

地動説より解明に時間がかかっているだけ

 

というか、物理学者はとうに知ってる

 

アインシュタインも、時間は幻想だと言っている

 

パラレル・ワールドの存在を肯定している物理学者もいる

 

 

可能性の世界

 

 

私が私を幸せにする

 

感情をどんどん解放して空になったとき

 

すべてがここに在ることを知る

 

 

 

のだろうか

 

 

体験したことないから今は分からないや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| maki | 13:29 | comments(0) | - |
現象に対する自分の反応を見つめる

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溜まりに溜まった不要な感情を浄化することに取り組んでいる期間中なのですが、いくらでも出てくるので辟易しています。
どれくらいあるのか可視化されたらどれだけいいかと思うけど、知ったら、途方もない量に絶望的な気持ちになるかも。

 

とうに浄化できていたと思っていたものが出てきたりする。

 

私は、物ごころついた頃から10歳ころまでかな、毎日のように、4歳上の兄に泣かされていた。
ただの兄弟げんかと思うかもしれないけど、物ごころついたころから10歳頃までなんて言ったら、人間形成に多大な影響を及ぼす期間。
その間、大袈裟ではなく毎日泣かされたのです。腕力では到底かなわないですからね。
実際に、当時のことを思い出すと今でも涙が出てくるというのは、相当深い心の傷になっているなと。

 

朝の登校前の喧嘩で「帰ってきたらぶっ殺す」と言われたとき。
私は、帰宅したら本当に半殺しのめに合うと思った。自分が兄に暴行を受けて死にそうになっているところを想像し恐怖におののいた。
学校はそんな兄から逃れられる時間でもあった。でも授業中もずっと、帰宅したら暴行を受けるのだろうとそのことで頭がいっぱいだった。
それでも私の帰る場所はそこしかなかったから、重い足取りで家に帰り、仕事でいない母が帰宅をするまで、勉強机と壁の間の隙間に隠れていた。

まぁ、結果としては何事もなかったんだけど、私が受けた精神的苦痛ははかりしれない。

 

他にも、個人的な体感としては、昔のホラー映画『13日の金曜日』とか『ハロウィン』なんかで殺人鬼に追われるようなシチュエーションを彷彿とさせるようなこともあった。扉の隙間から包丁の切っ先が静かにスーッと出てきてね。あの時もほんと殺されると思ったもんな。。。

 

私にとってはにどれもまさに私の生命を脅かす体験だったということ。

そしてその何年もの間に私がいつも感じていたこと。
誰も自分を待ってくれないという絶望感と、自分に対する無力感。

 

歪むでしょそりゃ。

 

私は、何年か前まで、泣いている子供の声を聞くと耐え難い苛立ちを覚えていた。

そのことについて昔は、自分は子供が嫌いなんだろうと解釈していた。だから子供の泣き声に苛立つのだろうと。
でも実際は、私の子どもの泣き声に対する反応は、子どもの頃にずっと発露を見いだせず蓋をされてしまった感情が刺激されることによるものだった。
泣いている子供は、幼いころの無力な自分と重なる。何もできない自分に対するもどかしさや怒り。

でもそんなこと誰も教えてくれなかったし、そんな昔の自分の体験が関係してるなんて全く想像すらできなかった。

 

一見外に向いているように思える感情は、実は全て自分に対するものだと今の私は知っている。

 

起きた現象に対して自分の中に無意識に湧き上がる不快な感情には、明確な理由がある。

「嫌いだから」とか「向こうが悪い」とかそんな簡単な理由じゃないことがほとんどだと思う。

 


だから私は、いつも自分が何を感じているかを観察している。

 

因みに、現在兄との関係はふつーです。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

| maki | 17:38 | comments(0) | - |