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「もう写真を撮れない」

JUGEMテーマ:写真

 

長月に突如、謎の体調不良と鬱に見舞われた。

 

体が重くて動けない。

 

精神的には八方塞がり。

 

未来が描けない。

 

「写真を撮らなきゃ」

 

と思っても撮る気が出ない。

 

何を撮っていいか分からない。

 

「私はもう写真を撮れない」

 

本気でそう思った。

 

そう思った次の瞬間、

 

「私には何もない」

 

「これから先、何もないまま生きていかなきゃならない」

 

と思った。

 

文字どおり絶望的だった。

 

この先の人生は闇の中を歩くようなものに思えた。

 

そんな状態が2週感ほど続き

 

そこから少しずつ少しずつ回復していき

 

3週間ほど経った頃に6割程度戻ってきた感じになり

 

4週間ほどでようやく8割くらい戻ったかと。

 

 

神無月。

 

写真を撮れることが何よりも嬉しい。

 

撮り飽きたと思っていた近所の写真も今日は

 

「まだまだここでいくらでも撮れる」

 

と思えた。

 

1枚写しては撮れることに喜びを感じる。

 

私にカメラが、写真があってよかった。

 

 

 

 

 

 

『撮れる』ということに、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

| maki | 22:35 | comments(0) | - |
音のない世界・実在しない存在

JUGEMテーマ:写真

 

写真を撮っていたらきっと誰でも一度は思うんじゃなかろうか。

 

「音も撮れたらいいのにな。」

 

でもそれなら別の媒体で、ということになるんだろうけど。

分かっていてもやっぱりちょっと思ってしまう。

 

この場所の蝉時雨はまさに降り注ぐようで、それはこの写真を見ただけでは決して伝わらないと思いながら、それでも伝える手段があるとするならそれはタイトルでしかないだろうと。

 

この写真は、私が好きな風景でもなんでもなく、写真表現というものを考えたときにタイトルの持つ意味を自分に問うたもの。

 

なのでタイトルは『蝉時雨』。

 

 

 

下の写真も然り。

 

自分の好きな風景でもなんでもない。

知らない人が見たらただ扉、玄関が写っているだけ。

 

私しか知らない情報として、ここにはかつて犬小屋があってゴールデンレトリバーがいた。

ここを通るときに私は「もうあの子は逝ってしまったんだな」と少し切ない気持になる。

 

ただの扉の写真が、見る人に意味を持つようになるにはタイトルで補うしかない。

ということを考えながら撮った。

 

なのでタイトルは『あの子がいない』。

 

 

 

何も深く考えずに美しい廃墟に心を惹かれて撮ったりすることもこの上ない喜びなんだけど、こういったことを考えて撮ることもとんでもなく楽しくて幸せな時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| maki | 12:06 | comments(0) | - |
切り離され個を生きているいう幻想が生み出す苦しみ

JUGEMテーマ:写真

 

カテゴリーもテーマも全然『写真』じゃない。

でも写真にしちゃう。

最近全然写真載せてないから。

 

 

 

ボタボタ涙を落しながら、トイレットペーパーに鼻水を放出しながら、

考えてた。

この涙と鼻水の意味を。

 

泣くと感情が開放される。

ならばこの涙と鼻水は感情そのものなのだろうかと。

だとしたらその周波数はとても重い。

私の中から出て行ったらその分軽くなる。

でも時とともにまた同じことを繰り返して同じような感情が生まれる。

どうしたらこの輪廻を終わらせることができるのだろうと。

 

こんなに涙と鼻水を出してもまだ出るのかと。

あとどれほど流せば楽になれるのだろうかと。

 

分離感が生み出す苦しみ。

 

いまだに残念でならないのは生まれ変わりがある事実。

 

いまだに私は消滅することを望んでいるのに。

 

 

誰もいない公園。

好きな映画を想い出しながら撮った。

 

私のファインダーの中で広がる世界は私にとっての絶対的な孤独。

 

被写体を決めてファインダーをのぞいているときが何より至福だったと気づくのはいつだってその行為を終えてから。

 

思考が停止していることが至福の条件だから。

 

思考が停止したとき、分離感も消えるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| maki | 13:49 | comments(0) | - |