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現象に対する自分の反応を見つめる

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって

 

 

溜まりに溜まった不要な感情を浄化することに取り組んでいる期間中なのですが、いくらでも出てくるので辟易しています。
どれくらいあるのか可視化されたらどれだけいいかと思うけど、知ったら、途方もない量に絶望的な気持ちになるかも。

 

とうに浄化できていたと思っていたものが出てきたりする。

 

私は、物ごころついた頃から10歳ころまでかな、毎日のように、4歳上の兄に泣かされていた。
ただの兄弟げんかと思うかもしれないけど、物ごころついたころから10歳頃までなんて言ったら、人間形成に多大な影響を及ぼす期間。
その間、大袈裟ではなく毎日泣かされたのです。腕力では到底かなわないですからね。
実際に、当時のことを思い出すと今でも涙が出てくるというのは、相当深い心の傷になっているなと。

 

朝の登校前の喧嘩で「帰ってきたらぶっ殺す」と言われたとき。
私は、帰宅したら本当に半殺しのめに合うと思った。自分が兄に暴行を受けて死にそうになっているところを想像し恐怖におののいた。
学校はそんな兄から逃れられる時間でもあった。でも授業中もずっと、帰宅したら暴行を受けるのだろうとそのことで頭がいっぱいだった。
それでも私の帰る場所はそこしかなかったから、重い足取りで家に帰り、仕事でいない母が帰宅をするまで、勉強机と壁の間の隙間に隠れていた。

まぁ、結果としては何事もなかったんだけど、私が受けた精神的苦痛ははかりしれない。

 

他にも、個人的な体感としては、昔のホラー映画『13日の金曜日』とか『ハロウィン』なんかで殺人鬼に追われるようなシチュエーションを彷彿とさせるようなこともあった。扉の隙間から包丁の切っ先が静かにスーッと出てきてね。あの時もほんと殺されると思ったもんな。。。

 

私にとってはにどれもまさに私の生命を脅かす体験だったということ。

そしてその何年もの間に私がいつも感じていたこと。
誰も自分を待ってくれないという絶望感と、自分に対する無力感。

 

歪むでしょそりゃ。

 

私は、何年か前まで、泣いている子供の声を聞くと耐え難い苛立ちを覚えていた。

そのことについて昔は、自分は子供が嫌いなんだろうと解釈していた。だから子供の泣き声に苛立つのだろうと。
でも実際は、私の子どもの泣き声に対する反応は、子どもの頃にずっと発露を見いだせず蓋をされてしまった感情が刺激されることによるものだった。
泣いている子供は、幼いころの無力な自分と重なる。何もできない自分に対するもどかしさや怒り。

でもそんなこと誰も教えてくれなかったし、そんな昔の自分の体験が関係してるなんて全く想像すらできなかった。

 

一見外に向いているように思える感情は、実は全て自分に対するものだと今の私は知っている。

 

起きた現象に対して自分の中に無意識に湧き上がる不快な感情には、明確な理由がある。

「嫌いだから」とか「向こうが悪い」とかそんな簡単な理由じゃないことがほとんどだと思う。

 


だから私は、いつも自分が何を感じているかを観察している。

 

因みに、現在兄との関係はふつーです。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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